弥生時代
弥生時代の期間
B.C4〜3世紀からA.C3世紀ごろまでつづいた。朝鮮半島から水田農業と金属器の使用をともなう人と文化が渡来して成立。
弥生土器の形式の変化で前期→中期→後期の3期に区分する。
弥生文化成立の理由
中国大陸・朝鮮半島の渡来の文化の強い影響をうけた。
縄文時代晩期に弥生文化成立の基礎ができた。
朝鮮半島南部を経て、北九州で成立し、以後弥生文化固有の要素を加え、西日本から東日本へと急速に伝播した。
弥生文化の特色
水田農業の本格的開始。
金属器(青銅器、鉄器)の使用。
弥生土器の使用。
織物の出現。
階級、小国の発生。
農耕儀礼の発生。
弥生土器の特色
土器の名称は、1884年(明治17年)にこの様式の土器が最初に発見された東京の弥生(文京区弥生)の地名からつけられた。
焼成温度が高いものが多く、赤褐色または淡褐色。
薄手で硬め。
幾何学文様・無文が多い。前期の弥生土器には縄文の文様もある。均整がとれ丸みをもつ。ロクロは未使用。
壷形土器(貯蔵用)・カメ形土器(煮炊用)・甑(蒸器)・高杯(盛付用)などに文化。
西日本に濃厚に出土。
時期 |
特色 |
遺跡 |
伝播線 |
前期 B.C3200〜B.C100 |
遠賀川式土器 九州→伊勢湾沿岸 |
板付(福岡県)
唐子・鍵(奈良県) |
伊勢湾沿岸 |
中期 B.C100〜A.D100 |
櫛描文土器 近畿→関東
無文土器 →九州 |
桑津(大阪)
須玖(福岡) |
仙台付近 |
後期 A.D100〜A.D300 |
無文土器が多い |
登呂(静岡)
弥生(東京) |
青森付近 |
農耕・金属文化
水田農業の開始
B.C3世紀ごろから北九州で始まった。水稲耕作の伝播経路は、品種や栽培方法から考えると、長江(揚子江)下流域から朝鮮半島南部をへて入ってきたとする説が有力。
しかし、北海道や南西諸島には及ばなかった。
農業が行われていた証拠
弥生土器に残されていた炭化モミや、モミの圧痕。
銅鐸に描かれたモミつきや、モミ貯蔵庫の絵。
木製農具の発見(1937年・奈良県 唐子・鍵遺跡)
水田跡の発見(1947年・静岡県登呂遺跡)
水田農業の方法
水田は自然の低湿地につくられた(湿田)
やがて灌漑・土木技術の発達に伴い、沖積平野内の微高地や谷水田も開発された。
すでに田植えが行われ、稲が実ると石包丁で穂首刈りにして収穫した。低湿な田の場合は運搬に田舟を利用した。
穀物は貯蔵穴や高床倉庫に保存された。
農具の種類
耕作具→木鍬・木鋤。刃先に鉄を使用した鍬が発生した。
収穫具→石包丁・石鎌・鉄鎌
脱穀具→木臼・竪杵
その他→田下駄・大足
代表的な弥生遺跡
唐子・鍵遺跡
奈良県にあり、弥生時代前期のもの。石器・土器と多数の木製農具が出土し水田農業の実態が解明された。
登呂遺跡
静岡市にあり、弥生時代後期のもの。住居跡の南側に杭や矢板を使ったあぜ道で区画された田や長大な水路が発掘された。
農具も出土し、当時の農業生活が明らかになった。
金属器の伝来
中国や北方ユーラシアの影響をうけた朝鮮半島の金属文化が、水稲耕作とセットになって入ってきた。
金属器には銅剣・銅鉾・銅戈・銅鐸・銅鏡などの青銅器と、
実用利器としての鉄器と大別できる。
銅剣・銅鉾・銅戈
いずれも武器。朝鮮半島からもたらされた実用的な輸入品であり、死者の墓に副葬された。
主として北九州から出土する。もう一つは、日本製の非実用的な模造品であり、九州北部を中心に国産の銅鐸・銅戈が、
中国・四国から近畿地方南部にかけて銅剣が分布する。
銅鐸
祖型…楽器の朝鮮式小銅鐸。
編年…主に、小型→大型、流水文→袈裟襷文に変化する。なかには表面に原始的な絵画を描いたものがある。
分布…近畿地方中心に中部地方西半、中国・四国地方東半。
出土…墓や住居跡でない場所、丘の斜面など。
用途…集落の農業祭祀の祭器。
鉄器の使用
磨製石器に変わって農具・工具・武器などの実用品として使用された。
農業生産力を発展させた意義は大きい。鉄器の使用は弥生時代前期からみられるが、まだ少なく、
中期以降急速に普及する。鉄の原材料はすべて朝鮮半島からの輸入品で、日本で加工して完成品とした。
ただし、石器も同時に使用される金石併用時代であったことに注意。
社会生活
弥生時代の住居
縄文時代と同じく竪穴住居が多いがやがて高床住居もふえてきた。穀物貯蔵用の高床倉庫が出現したことは、
この時代の特色である。農業の普及につれて、人々は低地に定住して生活するようになった。
集落の拡大
生産力の発展や人口の増加に伴い、しだいに集落の規模が拡大した。同時に富みをめぐる争いも激しくなり、
周りに何重にも堀をめぐらした環濠集落が出現した。
また、高い丘陸上に営まれた高地性集落も生まれた。
弥生時代の衣服
ホウ錐車(糸によりをかける道具の部分)で糸をつむぎ、原始的な織機で布を織った。
男子の衣服は長い布を肩から反対がわの脇にかけて巻く袈裟のようなもの、
女子は貫頭衣(粗布に首を通す穴をあけ、それを二つ折にして前後にたらし、腰で縛ったもの。メキシコのポンチョに近い)であったと推測される。
階級の発生
生産力が高まり、農産物の蓄積が可能になると、貧富の差や身分の差が生じてきた。はじめに、治水灌漑や農作業などの共同作業を統率するだけの
役割だった首長が、集落の富の管理者や呪術的な司祭者の地位を世襲しながら、やがて支配者に変貌していった。
こうして、支配者と被支配者の階級が発生した。
弥生時代の信仰
縄文時代以来の自然崇拝のほか、水田農業の普及によって、新たな農耕儀礼や田の神・太陽神・水神・風神への信仰も芽生えた。
弥生時代の葬法
葬法…前時代の屈葬から四肢を伸ばして葬る伸展葬に変わった。副葬品を入れたりして死者を厚く埋葬する厚葬も見られる。
墓制…大きなカメを合わせたカメ管墓、板石を組み合わせた箱式石棺墓、小さな支石の上に大石をのせた支石墓、木をくりぬくか組み合わせて作った木管墓
墓穴群の周りに方形の溝をめぐらした方形周溝墓などがある。カメ管墓、箱式石棺墓、支石墓は北九州に多い。また後期には、
西日本に大型の墳丘墓が出現する。
副葬品…舶載鏡(中国から輸入されたもの)・銅剣・銅鉾・勾玉・管玉などがあり、これらは特定の墓のみに副葬されている。