縄文時代
今から約1万2千年前から、弥生時代に移り変わるB.C3~B.C2世紀ころまで、一万年ほどつづいた。
草創期→早期→前期→中期→後期→晩期の6期に普通は区分される。文化の発展は比較的緩やか。
縄文土器の特色
1、製法…形態・文様は変化に富む。焼成温度が低いものが多く、素焼きであるので、黒褐色。巻き上げ・輪づみ等の手作り。厚手でもろい。
2、分布…全国で出土するが、東日本に濃厚に出土し、形式・文様が発達。
縄文土器の編年
区分 |
年代 |
出土地 |
文様 |
形 |
草創期 |
B.C13000~9500 |
福井県 鳥浜下層 |
雷文・綾杉文 |
深鉢、方形平底土器 |
早期 |
B.C9500~6500 |
東京都 稲荷台
茨城県 花輪台
函館 住吉町 など |
撚糸文・無文・捺型・沈線文・貝殻文 |
深鉢形先底土器 |
前期 |
~5000 |
神奈川県 諸礎 など |
条文・爪形文 |
平底形・深鉢形土器 |
中期 |
~4000 |
千葉県 加曽利 など |
隆起文・渦巻文 |
カメ形 |
後期 |
~3000 |
千葉県 堀之内 など |
磨消縄文 |
弦付土瓶形・壷形 |
晩期 |
~200 |
青森県 亀ヶ岡 |
雲形文・無文 |
壷形・皿・鉢形・注口形・香炉形 |
亀ヶ岡式土器 晩期に亀ヶ岡遺跡(青森)を中心として、東北・関東地方で発達した。
縄文時代の道具の特色
1、一般に打製石器を使用するが、一部で磨製石器を使用する。
2、弓矢が発見され、石鏃が出現。槍は減少。
3、石器・骨角器・貝器・木器などが中心。金属器なし。
縄文文化の道具の種類
1、狩猟具…石鏃(矢じり)、石槍、石ヒ(皮はぎ)
2、漁撈具…石錐(おもり)や骨角器の釣針・銛
3、生活具…耳飾りや玉類の装身具、石棒などの宗教・祭祀具。
貝塚
貝塚は、縄文時代の人が食料としていた貝類の殻や不要な道具などを住居近くに捨てて、堆積した所のこと。
貝殻のカルシウム分が、人骨・獣骨を保護し、当時の生活を知る遺跡として貴重。
日本で最初に発掘された貝塚は1877年(明治10年)の東京都の大森貝塚である。
大森貝塚は明治政府の御雇い外国人で、東京大学に招かれたアメリカ人のモースが発見した。
貝塚は特に東京湾沿岸・瀬戸内海沿岸に多く発見されている。
代表的な貝塚
名前 |
区分 |
場所 |
夏島貝塚 |
早期 |
神奈川県 |
加曽利貝塚 |
中期〜後期 |
千葉県 |
姥山貝塚 |
中期〜後期 |
千葉県 |
津雲貝塚 |
後期 |
岡山県 |
吉胡貝塚 |
後期〜晩期 |
愛知県 |
鳥浜貝塚 |
前期 |
福井県 |
縄文時代の住居
竪穴住居が主流。竪穴住居は地面に柱穴をうがち(多くは5本中)そこへ掘ったて柱を建て、
上方で交差させ円錐形とし、その上に草や木をのせて屋根とした。床は張らず、土間である。
住居の立地
水辺や川や海に近い台地先端部に立地した。飲料水と魚介類をえやすいため。
食料の捕獲が困難になると、人々は新たな土地に移動した。
集落の形成
縄文時代はまだ、集落の規模は小さかったが、時代が進むにつれて拡大し、広場を持つ大きな集落も出現する。
八ヶ岳山麓に約100個の住居址を残す尖石遺跡(長野県・中期)はその典型。
さらに、大集落の三内丸山遺跡(青森市)のように、住居のほか、集会所・貯蔵穴・墓地・ゴミ捨て場(貝塚)なども見つかっている。
縄文遺跡の分布
全国に分布するが、特に東日本で濃密。東日本は落葉広葉樹林帯に覆われ、サケ・マスが川を上り、食料資源が豊富だったことと、
水田・稲作の伝播が遅れたことに原因がある。
経済・社会生活
縄文人の生業
狩猟、漁撈の生活を中心とする採集経済であった。農耕・牧畜は行われていなかった。
しかし、現在では縄文時代にも農業が行われていたとする説が定着している。
(福岡市の板付遺跡で縄文時代晩期に稲作が行われていたことを示す水門・水田跡・縄文土器に付着したモミの圧痕、約2500年前の炭化したモミ等が見つかっている。)
縄文時代の社会
血縁関係にある20人〜30人ぐらいの集団を単位として活動した。採集経済では財産を蓄積することが困難だったからか貧富や階級の差は発生しなかった。
交換と分業
特定の場所にしか産しない岩石を材料とした石器が、かなり離れた地方で発見されることから交換が行われていたことが理解できる。
北海道の十勝岳、長野県和田峠、熊本県阿蘇山で産する黒曜石。
奈良県、大阪府県境の二上山のサヌカイト
新潟県姫川流域のヒスイ(硬玉)が広く分布している。
縄文時代の信仰
生活はすべて自然の恵みから依存していたため、縄文人は自然を恐れた。信仰も自然に存在するすべてのものを崇拝するナチュリズム=自然崇拝、
自然の中に霊魂が宿ることを認めて信仰するアニミズム=精霊信仰など呪術てきなものであった。
三内丸山遺跡からは神殿とも思える巨大な建物跡がみつかっており、高い精神文化の発達がうかがえる。
縄文時代の習俗
縄文中期以降、災いをさけて豊かな収穫を祈るための呪術的習俗が多く見られるようになる。
1、土偶…女性をかたどった土人形。大きさは数〜30㎝内外
2、土版・土面…護符(お守り)と考えられる。
3、抜歯・研歯…特定の歯を抜いたり削ったりする。成人儀礼。
縄文時代の埋葬方法
早期から埋葬の風習があり、死体の手足を折り曲げた姿勢で葬る屈葬という方法がとられた。
胸の上に石をのせる抱石葬も多い。